
銀行に勤めて結婚
箕輪静枝
奈良県
私の二女ひとみは、昭和四十三年八月、健康で正常に出産いたしました。主人は会社勤めで、私は平凡な二人の子供の子育てに忙しい日々でした。実家は三重県、私は奈良県と離れているのですが、一歳過ぎたころ私の母は助産婦をしている職業柄、「言葉が遅い、異常ではないか」と案じていたらしく、ある日、突然来てくれました。
早速、近くの耳のお医者さんへ行きましたが、はっきりした返答はありませんでした。そして、天理病院を紹介して下さいました。そこでも、「時期がくれば話すだろう」との答えでした。四十四、五年のころは、幼児の精密検査はできなかったのでしょうか?。もやもやとした日々が過ぎていきました。
そして、四十六年、すばらしいろう学校のあることを聞き、天理の山根理一先生に、ちらちらと雪の降る、幼稚部入学締切りが押し迫った三月、奈良県立ろう学校に連れて行って頂きま
前ページ 目次へ 次ページ
|

|